変な思考の一部(独自の考察)
色んな言葉が溢れてくる状態です。
前々からすこし思ってた。
定型にこだわらない感じ。最後よくわからない結末で終わる感じとか。
たぶん、練りに練って練りまくれば、
伏線を張り巡らせて、大ドンデン返しで、
見終わってすっきりするような感動できるストーリーを考えることはできるような気がする。
自分は無理かもしれないけども、
研究し、分析し、その方向へ適切な努力をしていけば、そういうストーリーを考えることはできる気がする。
どうやっても作れないというか、唯一無二で、努力でたどり着けないオリジナリティが溢れてる感じがする。
ストーリーをただ簡単に説明すると、よくわからないけれど、映画だったら、音楽や色づかい、描きかた、1シーンの絵ぢから。小説だったら、一つ一つの心情表現、場面の描きかた、詩的な言葉運びで、唯一無二の世界観を作り上げる。
これは、努力じゃできないと思うんです。
もちろんこの人たちも信じられないくらい努力しているんだろうけども。
まぁ、とにもかくにも、なんか村上春樹は凄いなぁと感じたわけですよ。
その圧倒的な知識とか、その他諸々に。
ということを言いたかった。
そして、村上春樹を読むと必ず、気力が無くなる。
なんかやっぱり、起業家の本とかビジネス本とか読むとやる気がでるし、人生を無駄なく過ごそうと、頑張れる気になって、前向きになって、自分が好きになるんだけれども。
小説とか、芸術に触れると、元気になるというより、頭の中がふわふわとしたイメージで溢れてしまうのですね。
そして、仕事したくなくなるんですね。ずっと寝てたい。ずーぅと寝てたい。思索に耽りたい。南の島にいって、昼は思索に耽って、夜は考え事をしたい。縁側で時間を持て余してもっともっと本を読みたい。ベルリン壁に寄りかかって、昼寝したい。
ということで、訳のわからない、一方で非常に気持ち悪い言葉がたくさんあふれちゃうわけですね。それを一つ一つTwitterにつぶやきたいんですけども、あんまりつぶやき過ぎるとただでさえ少ない友達がより減っていきそうなので、控えないといけない。だから久しぶりに日記を書く。
ビジネス本(実用書)と小説。
どちらも同じくらい自分の人生で大事なんじゃないかと思うんですよ。
どちらもすごく自分に影響を与える物だから。
僕は勉強して努力して努力して、やりたいことを沢山実現したい。全部は無理でも、少しでも理想に近づけれるように。工夫して考えて考えて努力する。
それには経験と読書が必要なのです。
一方で、思いつきとかアイデアとか発想のもとになるのは、やはり文学だとか芸術要素だと思うから。
そうじゃないと個性がでないから、やる意味がないから、方法論だけじゃつまらないから。
何をやるかよりも、どんなふうにやるかが重要だと、甲本ヒロトがいっていました。
本当、でも、なんかその通りで。なにか作ろうとするたびに、たくさん作るたびに、この言葉にハッとする。結局そうかも、と思う。
最近は鬱っぽいですが、それは村上春樹のせいなのか?
先週は割とテンション高かった。調子も良かったし。
なんて単純なんだろう。
甲本ヒロトの詩は生き生きしてるね。とても素直で、かっこいいんですね。
絵本のようです。中学生が読む絵本。
最近宗教についてよく考える。
甲本ヒロトは言葉に力がありすぎて、ほぼ宗教に近いものがあるから、恐ろしくもあるのです。
甲本ヒロトは好きだけど、信者ではないのです。人を夢中にさせるエンターテインメントは宗教に近いかもしれない。でもやっぱり、宗教にはならないはず。自己表現が前にあるからか、人を楽しませるのが前にあるからか。
僕は宗教になにがあっても入りたくありません。
思想は自由です。むしろ自由であるべきです。
宗教に縛られると自由でいられなくなりそうです。もちろん自ら入ることを望むのも自由です。宗教を否定はしません。
ただ、僕は個人は、
何かの宗教の教典を読んで深く感銘を受けたとしても、入信する必要はないと思います。
影響を受けるだけ。数ある意見の一つ。
それが、自分のアイデンティティーと呼べるものになったとしても、影響を受けた本の1位に輝くだけ。宗教には入らない。
アイデンティティーとしての宗教、コミュニテイとしての宗教、色々あると思います。
思想は自由だから、宗教に入るのも自由です。
なにかに縛られる自由もあるのだから。
でも宗教組織、宗教コミュニティに入るのはまた別な話な気がします。
人が集まるとそこには問題が必ず起こると思うのです。また、組織が大きくなるとそこに既得権益が生じ、それを守るために他のコミュニティに負担を強いるのも必然的にあるのだと思います。人間が組織を組むとはそういうものだと思います。
どんなに素晴らしいことを唱えている宗教でも、人間の組織は間違うこともあります。
人間は組織を組んだ時点で、その宗教の理想から遠のくような気がしてならないのです。各々が勝手に信じ行動すればいい。
理想を叶えるためのコミュニティなら宗教とは関係なく作ればいい。
コミュニティにも思想があり、それを実現するための行動も自由だけれど、そこに宗教の枠を当てはめる必要性を感じないのです。
もちろん宗教組織も否定はしないのだけれども、自由だから。でも宗教というものの強さは認識してほしい。それを自己正当化の材料にすればどんなこともしてしまう怖さ。所詮世の中言葉の使いよう、捉えようで、善も悪も入れ替わるので。自己正当化は誰にでもどんな思想でもできてしまうから、その後ろ盾に宗教を持ってきたら、その力強さになにも疑えなくなってしまうかもしれない。その危険性。
他の、例えば、音楽や、芸術などでも、信者と呼ばれる人はいるし、その人たちの心の動きは、もしかしたら宗教に入る人の心の動きと同じようなものなのかもしれない。夢中にさせるエンターテインメントを人はみんな求めるし、それをアイデンティティーにしている人もたくさんいる。でもやはり、宗教と比べるとどれも弱い。
宗教は強すぎる。いざというとき、頼りになり過ぎる。それは素晴らしいことでもあるし、危険性は否定できない気がする。
色んなコミュニティが、もっとあるべきだと思います。
会社や学校だけじゃない。
部活もサークルも学校単位ではなく、地域単位になればいいのに。すべての学校の部活やサークルを無くして、地域ごとに作ればいいのに。
せっかくのコミュニティが、居場所が、3年とか4年とかしか持たないのは、勿体無い。
まあ地域じゃなくともいいけど。学校の間だけとか勿体無い。
なんてことをちらほらと考えていましたよ。
大丈夫かな?怒られないかな?
否定はしてないんだよ。
でも、そのメリットとデメリット。
宗教の思想と宗教組織の違い。
について、考慮した上で、自分の頭で考えて、
自分のやりたいような人生を歩むべきだと思っただけです。
ということで、ここで終わると思ったら大間違い。
まだまだ続きます。
外は雨が降ってきました。
あまりにもお金がなくて、どうしようかと思っています。
仕事しないとね。仕事。
仕事。仕事。
映像を頑張ろうとしていたけれど、
なんか疲れてきた。
どうしたらやる気でるかな。
集中できる環境が必要なんでしょうね。
うーん、起業するか?笑
能力もないのにね。
うーん、とりあえず個性だせないと、
技術で勝てないぶん、なにか映像と掛け合わせて個性を。
うーん、なにがしたいのかね。分からなくなってきちゃったね。
人と関わりたくない。
人間が怖い。
これからもよろしくお願いします。
日記は気が向いたら書くようにしよう!
そうしよう!